一体感

日本語の「一体感」とは、ことなる別の個体と共有する同一の感覚だといえるでしょう。僕はこの言葉こそ、指圧を行う上で大切な言葉だと思っています。

 

この言葉は日本人の日常の生活の中でさまざまな使われかたをしてきました。たとえば、コンサートの会場で、アーティストと大勢の聴衆が一つの音楽を介在して、「一体感」を共有する、というように使われます。

 

また、別の例として、空間、あるいは時間のへだたったもの同士が感じる一体感というものもあります。

 

僕は、指圧をやる上で大切なことのひとつとして、一体感を感じる、ということがあると思っています。

 

この日本語の一体感とは、他者と一つになる感覚、ということです。これは個に縛られていた自分からの解放と捉えることもできますし、他者との距離感へ意識を向けることともつながります。

 

この一体感という言葉はいろいろなレベルで感じることができるのです。指圧では特に手という器官を用いて、他者との一体感を感じることになるわけですが、それだけに限る必要はまったくありません。

 

この感覚は生命であれば必ず持っている感覚であるのかもしれません。また、生命に限らず、場であったり、街であったり、意識をひろげていくと、かなり範囲の広い言葉だということが感じられます。この感覚に意識を向けていくことによって、多くのことと共にいることができる可能性も感じられます。

 

そんな意識をもって手を使い始めると、また指圧の世界がひとつ広がったと感じることができるものです。

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