57才でクライミングを始めてもう一年と数か月がたちました。いまはますます夢中になっています。そんな中で、そうだ、どうして始めたのか、その理由を書き残して置きたい、そう考えました。
それは一言で言い切ることができます。
いつまでも元気なからだでいたい。
これから人生の後半を生きるわけであるが、その時に身体がいい状態で保てるように、身体を動かすことが必要であると感じていた。
しかし、50代の僕は仕事で身体を使っているということを自らへの言い訳として、スポーツらしきものはしていなかった。しいていえば朝と晩の歩き、あるいは自転車である。でもこの自転車と歩きは仕事場への生き返りであるから、スポーツとも言えない部分がある。
実はクライミングとのファーストコンタクトはかなり前である。それは長女、まやと関係している。
彼女が実は高校のころからの登り手で、彼女が高校を出てパリに住み始めた時にビルジュイフにある、Antreblocにつれていってくれた。僕はその時は50歳になったばかりだろう。
その時はマヤから話を聞いていて、フランスの若者の間ではやっているスポーツで、なんか落ちたりして痛いらしい、ぐらいの知識しかなかった。でもフランスの若者の間にはやっていることにはもちろん興味があるから、どんなものかな、といった好奇心で彼女についていった。
その日は風邪ぎみの身体であまり調子がよくなかった。ブロックの中は若者の熱気で満ち溢れていて、これはかなわないな、なんて年寄りじみたことを考えてしまった。実際に黄色を始めてのぼってみたが、身体の芯からの力がまったく足りなくて、すぐに努力を辞めてしまった。
風邪気味で弱っていたからということもあるが、僕はその自分の体力の無さ、弱さぶりに唖然としてしまった。このままで何も行動を起こさず、身体を動かすということ、つまりスポーツをしないで老後を迎えると、生活のスタイル、行動などが違ってくるものになるだろう。そう思ったからだ。そう考えることは僕にとってはまったく自然なことであった。
ユーチューブで船瀬 俊介の筋トレについての話を聞いたりして、年をとっても筋肉は鍛えられる。身体の年齢に老化は無い、とはもちろん言えない。しかしいい状態にしておくための努力はした方がいい。
そんなショックがあった日からたぶん一年ほどしてやっとパリのスポーツクラブに申し込みをした。なんで一年かかったかというと、それだけ鈍かったということでもあろうか。
とにかくでもパリのスポーツクラブに申し込みをして、通い始めた。そのクラブ、Cercles de la forme はぼくの仕事場と自宅の周辺にあり、自転車でパリを移動している僕としてはいい環境であった。はじめはマシンが物珍しかったがすぎに飽きてしまった。ズンバとかアフリカダンスなどの授業にもでたのだが、激しすぎる感じがした。いっしょに踊るので、ついていけないとなかなか面白みがわからないで、フラストレーションがたまってしまう。
そんな中で数年がたち、結局だんだんいかなくなってしまった。
そんな中で自宅の近くにクライミングのブロックがある、ということを聞いていて、興味があったので、覗いてみた。それが今来ている、Arkose だ。
そうしたら、一発で気に入ってしまった。カジュアルで自由な雰囲気がいい、居心地がとっても良さそうと感じてしまったのです。
それでさっそく申し込みをすることにした。それが一年少しまでの57才の最後の時期である。
最初のうちは、本当に自分が登れるのだろうか。またいつものちょっと手をつけただけでやめてしまうスポーツや趣味の一つになるのではないか、そんな半信半疑の時期が一年間続いた。その間は無理をせず、週に一回のペースはキープしていた。
この一年間週に一回、約30分から45分ほどのぼっているうちに、このスポーツの素晴らしさを感じることができた。登っているときの身体感覚がたまらないのである。落ちるかもしれない、とうことで身体全体は緊張状態にある。目いっぱい限界の力を出さねばいけない時もあるし、またバランス感覚をとぎすまさなければもちろん落ちてしまう。
ひとつひとつのそうした感覚が、自分の身体を通しての発見の連続なのである。
二年目に入ったいま、ますますクライミングに夢中になっています。
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