なぜ、今回のイタリアの按腹図解セミナーがうまくいったのか。
自分なりに分析をしてみました。
いくつか理由があげられます。
まず、指圧のオリジンを探る、というテーマが心をつかんだのではないか、と思っています。
僕自身、指圧を職業として長いことフランスで仕事をしてきました。
その際に、やはり常に勉強をしていないと、不安になるものです。とくにまだ駆け出しの頃などは知らないことも多いので、常に勉強をするという姿勢は大切だと思います。僕自身がこの按腹図解と出会ったのも、自分自身のやっていることがどこからきているのか、そういった自己の元を探っていく作業の中でです。
僕の場合、増永指圧を勉強していて、その流れで当然、増永静人の書物に触れていきました。そして増永は何回もこの按腹図解について言及しているのです。増永は、按腹図解は彼の指圧の源流のひとつだ、というくらいこの本を評価しています。
僕の中での源流を探る旅と、それぞれの指圧師たちが自分探しで指圧を学ぼうという意欲とがうまくむずびついたのではないか。
短く言うと、指圧の源流を探すというテーマが魅力的であった、と言えるでしょうか。
もうひとつ、成功の原因と結びつけておかなければならない要因があります。
それは僕が日本人であるからということ。
つまり指圧の源流を探る旅を、日本人指圧師がやっている、ということの意味の深さ、別の言い方をすると強さということはどうしても挙げなければならないでしょう。まったく同じことをイタリア人でも、フランス人でも他の国の人がやっていたとしたら、また深みなり、意味合いが変わってくるはずなのです。
セミナーの趣旨はすべて言葉として伝えてあるので、それに響いた人たちが多くいた。そういうことだと思っています。
そして、今回僕自身も驚いているほどみなさんの評価が良かったのです。
これは全くといっていいほど、予期していませんでした。
この按腹図解のテーマで、すでに10数回セミナーをやってきています。7、8年ほどまえからこの本と関わってきました。主に僕が住んでいるフランスなのですが、イタリアでも2017年にジョセっぺとステファーナのところで一回やりました。どれも参加者のみなさんは評価をしてくれるのですが、今回のリアクションはいままでで最高であったといえます。
これはなぜなのか。
今回だけ努力をして、特別なことをやったということがありません。ただ言えるのは慣れてきている分、僕自身がこのテーマをうまくやることができるようになっているということ。
現場で直接受けた感想の言葉の中には、自分が指圧をやってきてよかった、など深い部分に触れた様子がわかる表現がいくつかありました。最初はお世辞かなともおもってきたのですが、どうもそれだけではないようなのです。
このセミナーのひとつの大きなテーマは、日本語の書物の中に埋まっている秘密ともいうべきか、あるいはひとつひとつのテクニックの源の意味というものを掘り起こし、それをくんで実際の手技をみなおしてみようということがあります。
まず、按摩という時の語源を解き明かすところから、このセミナーは始まります。
按の字は手と安からなっています。安の字は女性が家にいる表記から、やすらかさ、安心感、などを表すことをまず伝えました。そしてそれが手とむすびついている。つまり手によって生み出されるやすらぎや安心感、といった意味を含めた字であるといえます。
按摩の摩の字の方にも手が入っています。上は麻。つまり手で麻の表面を取り去る行為の表現が字源からうかがうことができるのです。
この二つの文字の複合が按摩であり、これは二つのそれぞれ異なる行為をしめしているのです。手をやすらかに置き安心感を生み出す動作と、それとは対照的に手を早く動かして撫でるようなしぐさ。按摩とはこの二つの行為を代表させて字をとってきているものと思われます。
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